湿気の無い晴天が好き

日々のつぶやきを、のんびり、まったりと書きます。

どこまで知らせるか2

(どこまで知らせるか1 のつづき)

そんなことをボチボチ考えているときに、
ある知人から長文メールが届きました。
長すぎて、内容がよくわからず、途中で休憩しながら読みました。

内容は、

・病気が見つかった

・命に別状は無い

・詳細は未定。わかったら連絡する


まとめると以上なのですが、知人は、これらの情報の間に、
「お酒が飲めなくて楽しみが減った」、「担当医を信用できない」、
「こんなに頑張っているのに、どうして病気になるの?不公平だ!」、
「かわいそうでしょ?ねえ、かわいそうでしょ?」
「病気になったけど、見捨てないでね、だって私、良い人でしょ?」、「私が病気の間、みんな、私の旦那さんを大切にしてね」、
「今まで、私、みんなに優しくしてたよね?だから私を大切にしてね」
・・・このような叫びを繰り返したのです。


ああ・・・どのように反応したらよいのか、わからない・・・



もちろん、急な発病で知人が動揺する気持ちは察することは
出来ます。急な病気は私にとって驚きやショックで、
元気になってほしい気持ちもあります。
決して不幸を願っているわけではない。

けれども、とまどうのです。
知人からのメールは、10名ほどに同時に送られていた。
正直なところ、その知人と私は、それほど立ち入ったメールを受け取る間柄ではありません。私が首を骨折し、入院・手術・療養をしたときも、一切連絡を取り合うことは無かった関係です。

メールの返信に本当に困りながら、知人を出来る限り尊重するように言葉を悩んで、返事を書きました。言葉の真意が伝わらないのを恐れて、いくつかの短い言葉を選びました。
けれども知人は「こんな返事を求めていない」と怒りのメールを返してきました。ああ、やっぱりかと、途方にくれてしまいました。
同じメールを受け取った友人達も、試行錯誤で返事を返したものの、
私と同じように怒りを買ってしまったようです。

このやりとりを通じて、私は再び考えました。

自分の症状を「どこまで知らせるか」
今回、知人からのメールをきっかけに、いつもと反対の立場に立って、長年の悩みを違う視点で受け止める機会を持ちました。

結局、何を、誰に、どのように伝えるのか。
自分が考える最適な伝え方が、相手にとってそうとは限らない。
相手だって、困っているかもしれない。
だから、迷ったらシンプルに、情報を少なめに伝えるほうがいいのかな、と。
マニュアルのように「これ」と決められたら楽なんだけど、
やっぱり、そう簡単ではないのだな、と。

今までも経験したように、

私の説明に対して、
「説明が少ない、信用していないのか?」と相手が気分を損ねたら、
「負担をかけたくなかった」と断り、相手の求める情報を追加する。
それがいいのかな、と。

こうやってブログを書いていると、細かいことで気持ちがグチャグチャしているなぁと感じます。でも、細かいことを積み重ねると結構な悩みになるものです。体調が悪くて、日常生活に自分以外の人の手が必要というのも、なかなか悩みが尽きません。
自分の体調や精神状態も安定したいないとき、余計に悩みますね。

まとめると、
私からの発信は、「まずは最小限に」
今の自分は、これでいこうと思います。
定期的に振り返り、一人よがりにならないようにしようと思います。

最後になりましたが、メールがうまく返せなくて怒らせてしまったけれど、知人の健康と快方を心から願っています。