湿気の無い晴天が好き

日々のつぶやきを、のんびり、まったりと書きます。

感激したこと

年齢的に大先輩の見知らぬ方が、とても素晴らしい発表と文章をまとめていた。

どれだけの労力をかけて、冷静に、コツコツと、そして自信を失わず重ねた時間。

でも謙虚だった。

このような先輩の発表に触れて、本当に感激した。

 

自分は何を必死でやっても、誰にも相手にされない・・・そんな卑屈な気持ちが自分にあった。いろんな人間関係がうまくいかず、どれだけ頑張っても評価に繋がらない。

ひねくれた気持ちがあった。

でも、相手にされるためには、やはり先輩のように、準備をこれまで以上にして、きちんとしたものを作ることがまず大切なのだと思った。

 

そういいながらも、気持ちが揺らぐこともあるから、きちんと書いておこう。

 

この先どうする?

うれしいことがあった。

 

約10年ほど、自分が取り組んでいること。

誰の役にもたたないかもしれないけど、
私が大切に思い、ライフワークとして取り組んでいること。

 

所属もなく、年齢を考えると、この先続けていくか

何年も「先がない」ことに不安を持ちながら、でも続けたかった事。

 

ある人に「この先どうする?どんな風に考えている?」と問われた。

 

ものすごく嬉しかった。

 

「この先どうする?」が、「どう続けるか、考えて行動すれば続けられるよ」

という問いだった。

 

場合によっては「もう可能性が無いからやめろよ。いつまで好きなことやってんだよ」

となることもあると思う。

 

でも、「こんな選択肢を考えてみるのもありだよ」というアドバイスもいただいた。

 

サラッと、いただいたアドバイス

 

誰かが見てくれていたこと、

未来の可能性を1ミリでも気にかけてもらえたこと。

「先」があると自分が少しでも思えたこと。

その人は言葉少ない人で、お世辞や自分の利益をもとに話をする人ではない。

 

「この先」を考えることが、最近続いていた恐怖ではなく、

ちょっとワクワクすることを思い描けたことが、本当にうれしかった。

 

毎日の不安はいろいろとあるけれど、

やはり、私は選択肢が少しでも持てるような生き方を持てるように

もがいていきたい。

 

「この部分に関しては利己的になれ」というアドバイス、しっかり考えたい。

 

 

届く、届かない

病や怪我などで、突然日常生活の急変がふりかかる。

誰にでも起こりうる。

 

そんなときの心の動揺、「なんでわたしが」という

どこに向けて良いのかわからない、もてあます強烈な怒りや葛藤、悲しみ

 

そんなとき、家族、友人、周囲の人や書籍などの言葉が届くか届かないか

届くとは、自身が受け取って、その言葉の真意を捉えることができるのか

 

難しいけど、大切なこと

とても難しいけど、大切なこと

後で後悔しても、そのときは戻らない

 

 

後遺症が辛い

 

 

 

 

1週間前の早朝、左胸と背中の激痛。

慢性の痛みを抱える私でも、経験したことのない痛みだった。

すぐに救急病院に駆け込む。救急車は呼ばず、自分で移動を選択。

 

どこを調べても、結局原因はわからずだったが、本当に命の終わりを感じる

痛みだった。

 

強い痛み止めを使ったため、その後胃腸の不調。

水も飲めず食べられず、辛くて眠れず。

 

頚椎を骨折して、首の手術をして、いろーーーんな後遺症を抱えながら

毎日できるだけ前向きに生きてきたけど、この一連の「激痛事件」は

私の心をすっかり弱らせてしまった。

 

私、やっぱり、後遺症との付き合いが辛いんだ。辛かったんだ。

今年で13年目。疲れは確実に溜まっているんだ。

そしてさびしいんだ。

 

体の不調は外から見えないけど、ひとときも無くならない痛み、

猛烈なめまい、半身の痺れ、片目が真っ暗、顔面の砕けるような痛み、

汗がかけないために体温がすぐに上下する、バテる、転ぶ、

書ききれないけれど、これらを抱える毎日は、終わりが見えないだけに

精神的に消耗する。

 

自分だけが大変だとは思っていない。

でも、数少ない自分で行動できる日は、治療や通院に使うしかない。

 

人付き合いも激減。

仕事もしたいけど、低気圧や気温差・湿度で寝込むために責任をもてない。

今は仕事も出来ない。

 

閉鎖的な毎日を、少しでも「好きなこと」を見つけよいと

いいところ探しをするよう努めていたけど・・・・・

 

ああ、私、辛かったんだ。

 

1週間前に、救命センターで痛みの処置をしてもらっているときに

思い出した。

 

首の骨折をしたとき、交通事故の現場から救急車で運ばれて、

「あと数ミリ骨折箇所がずれていたら即死でした」と言われ、

いきなり寝たきり生活が始まった。

 

数年かけて、手術、リハビリを継続して、今は自宅で生活できるけど、

ずっと辛かったんだ。

死ななかったのは何故だろう。

だったら大切に生きなければ・・・と背負っていた気がする。

 

ああ、久しぶりに「辛い」と書かせてもらって、私は少し救われた気持ちだ。

 

まとまりの無い文章になったけど、消耗した自分、疲れた自分、さびしい自分を

一度受け入れようと思う。

そしてまた、踏ん張る毎日を過ごそうと思う。

敬意をこめて、備忘録

内田裕也さんの葬儀で、娘の内田也哉子さんが述べた謝辞。

どれほどの思いが長年積み重なり、これらの言葉を紡いだのか。

生まれた環境で、最初に出会った人間関係で、どのような経験を積み重ね、

これらの言葉を紡ぐ感性を研ぎ澄ませてきたのか。

 

とても想像は出来ない。他人の私に想像などできるはずがない。

 

敬意をこめて、備忘録・・・

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私は正直、父をあまりよく知りません。わかり得ないという言葉の方が正確かもしれません。けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が、数週間にも満たないからというだけではなく、生前母が口にしたように、こんなに分かりにくくて、こんなに分かりやすい人はいない。世の中の矛盾を全て表しているのが内田裕也ということが根本にあるように思います。

私の知りうる裕也は、いつ噴火するか分からない火山であり、それと同時に溶岩の間で物ともせずに咲いた野花のように、すがすがしく無垢(むく)な存在でもありました。率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと実感のない父と娘の物語が、始まりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。

けれども今日、この瞬間、目の前に広がるこの光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたおひとりおひとりが持つ父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には到底おさまりきれなかった内田裕也という人間が、叫び、交わり、かみつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を皆さんは確かに感じとっていた。これ以上、お前は何が知りたいんだ。きっと、父はそう言うでしょう。

そして自問します。私が父から教わったことは何だったのか。それは多分、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルい奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。これ以上、生きる上で何を望むんだ。そう聞こえています。

母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかったと申し訳なさそうにつぶやくことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、おりおりに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんなきれい事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。

もちろん人は生まれ持って誰のものではなく個人です。歴(れっき)とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、夫婦の取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑(ふ)に落ちません。けれでも、真実は母がそのあり方を自由意思で選んでいたのです。そして父も、1人の女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。

2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼(しんきろう)のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなかおもしろいものです。

79年という長い間、父が本当にお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。

Fuckin' Yuya Uchida,

don't rest in peace

just Rock'nRoll!!

これからつくる

ここ数年、人付き合いのことで悩んで悩んで、

長い付き合いの友人関係にも変化や別離が続いて、

とても悲しく反省の日々が続いたけれど、

 

ほかの人の気持ちは、もう変えられない。

 

これからどうするか。

どんな人と付き合って行きたいのか。

そのためには、どんなことを準備したり省みる必要があるのか。

 

しっかり考えないと。

 

一人の時間も、以前よりは「孤独」ではない

でもきっと自分は、誰かと交流しつつ、年齢を重ねて行きたいと思っている。

 

これまでの反省は忘れず、

でもこれから、また、友人を作れるように、その希望は忘れずに。

 

怖いけど。これからつくることへの、恐れよりも行動をしたい。

害なるって・・・

割と付き合いの長い知人の発言。

 

「デブは100%人の害にしかならない。

自己管理が出来ないだけの人だから。

でも、ハゲは仕方がない。後天的なものだから。」

 

 

まず、その二つを比べる理由は何だろう。

機関銃のように一方的に話を続ける知人をぼんやりと

眺めていた。

 

そのときの知人の悪意に満ちた顔、

それにはどのような経緯があるのだろう。

 

 


私はこの発言で、心の奥底がとても「チクリ」とした。

思い当たる。

悔しさをそそる言葉。

 

 

「人の害になる」生き方、それは自分で避けられるならば

避けたいと考えている。