湿気の無い晴天が好き

日々のつぶやきを、のんびり、まったりと書きます。

最高のレース

マラソンの野口みずきさん。

以前、野口さんが金メダルを取ったレース、テレビで見ていました。全身がバネみたいだった。
42.195kmを走り終えた後も、
もう一度すぐに走れそうなぐらいパワーが溢れていた。

時を重ね、野口さんは、昨日名古屋でマラソンを完走しました。

オリンピックで金メダルを取って、
度重なる怪我に苦しんで、
2年半前のマラソンを途中棄権して、
そして、昨日の完走。

私はスタートから、野口さんが無事に完走出来ることを
願って、ずっと見ていました。

途中で、涙ながらに走る野口さんを見て、
どんな涙なのか、辛いのか、悲しいのかと心配でした。

「記録はワーストだけど最高のレースでした」
「悔いはない」
そういって微笑む野口さんが最高に美しかった。
23位と負けた悔しさもありながらも、
スタート前とは違う、すっきりとした表情でした。


思うように体が動かなかったり、苦しい時期も
長かったと想像する。
マラソンをしていない私には、きっとわからない
想像を絶する苦労もあったと思う。

 
野口さんを見ていて思った。
苦しい時期が長く続いたとしても、
きっと、いいこともあるんだな、って。

 


昨日、野口さんが走る周りには、応援の声が溢れていた。
沿道からの声援、同じコースを走るカラフルな市民ランナーたちが、
手を大きく振り、体を大きく使って、野口さんに声援を送る姿が途切れない。
人々の声に、私は自然に涙が出ました。

すごい、すごいなぁ、って。
野口さんにだから向けられる声援。
周囲に自然にそうさせる野口さんだから、
あんなに美しい笑顔が出るんだな。


42.195kmを走る間、いろんな種類の
涙があふれたと思う。
けれども、30kmを過ぎたあたりからは
本人が花道と語るように、笑顔と万感の思いの
涙があふれたようです。

 

アスリートはものすごくたくさんいるけれど、
「悔いはない」そう言える人は、きっと一握り。
一緒に頑張ってきたスタッフも、幸せだな。

 


私は、野口みずきさんの今日のレースと
あの笑顔を、ずっと大切にします。

感動した・・・とか、簡単にいえないくらい
とっても心に響きました。ちょっと言葉に詰まるけど、
今の気持ちを書きとめておきます。

我慢させていたことに気づく

長い付き合いの友人と久しぶりに会うことが出来た。

昔の仕事仲間。
仕事を通じて知り合った人で、仕事を離れても付き合う人は
少ない私。友人の人間性に惹かれて今も付きあいが続いている。

よくあることだけど、
時間を重ねるとともに、共通の話題が減っていく。
互いの生活に変化が出て、今までどおりにはいかないこともある。

共通の話題がないことも、友達づきあいによい面もある、
知らないことも知れるし、ものの見方にも刺激を受ける。
そう思っていた私。

久しぶりに、彼女はとても楽しそうにしていた。
「やっと久しぶりに共通の話題が見つかって良かった」
「ほっとした」
「以前は、仕事の話題が出来たけど、今は仕事の話ができなくなったもんね」

彼女の言葉で、共通の話題とか共感が、友達づきあいには大切だと改めて気づく。

 

ここ数年は、彼女は、私と会うときに共通の話題を探していたのかもしれない。
我慢させてしまっていたのかもしれない。

互いに話し、互いに聞き、自分ばかりが話しすぎないように気をつけてはいたけれど、話題は、そのときに思うままに任せていたところがある。

 

・・・反省した。気をつけよう。

 

実は、彼女に会った直後は、彼女のこれらの言葉に落ち込んだ。


でも振り返ると、ここ数年の私は、家族のトラブルとかいろいろと決して明るいものではなく、聞いてもらうのはとても負担をかけていたのだろう。

 

会いたくて会う大切な友人にだから打ち明けられることはあるけれど、
これからは、共通の話題も見つけて、相手に聞く負担ばかり押し付けてはだめだな。
少しはほっとできるひとときを意識しないと。


一人よがりにならないように、振り返る時間を大切に。

 

 

ドラマ「家族のカタチ」第7話

誰しも、外から見たらわからない「何か」を持っている。そんなお話でした。

隠し事をしているのは、
相手を信用出来ないからという場合もあるけれど、
相手の負担を考えたり、自分の気持ちの整理が出来ないからこそ敢えて言えないこともある。

相手を思って敢えて黙っていても、かえって相手を傷つけてしまったり、難しいね。

病気だったり、
期待や応援に応えられなかったり、
人との問題だったり、
いろんなことをみんな抱えている。


じっくり話してみたら、人の印象が変わったり、知らない面を見せてくれる場合もある。

今回涙が出たのは、「信じてる」という
はなこさんのことば。
仕事でミスばかりだった部下も、その言葉に背中を押されて力を出すのです。

「無理でも、やらなきゃいけない時がある」
自分もそうしてきたんだね。
誰かの力を引き出すはなこさん、素敵だな。

ちょっとした一言。でも、その時に合う
的確な一言が人に響き、力が沸いてくる。

そんなことを考え、たくさん感じ取った第7話でした。

ドラマ「家族ノカタチ」 6話

最近一番ハマっているドラマ「家族ノカタチ」。

第6話を見て、涙がポロポロとこぼれました。
6話が今までで一番よかったな。

人と人が接するときに、誰もがふと感じたこと、
感じたことがあるけれど、あまり誰かに口にする
ことがなかった感情、などがとても丁寧に描かれた
作品だと思います。

西田敏行さんの誰かへの声がけが、温かくて、
声色で癒されることってあるんだな、と実感しています。唯一無二の役者さん。お体を大切にこれからも
長く活躍していただけたらいいなと思います。


一人でいること、他人と距離を取る理由は、誰かに興味がないのではなく、どう接すればよいのかわからないから。とても不器用ながらも、誠実でやさしい青年を
香取さんが好演しています。とつとつと話す中にも、
感情の揺れがうまくこめられていて、1時間があっという間。ふとした台詞にも、前後のお話との関係性がみられ、例えば「弟です」とか、「やさしいよ」で泣ける。

実は、私は当初、このドラマが苦手でした。
一人暮らしのお部屋に家族が突然同居して、
煙をモクモクあげて魚を焼いたり、
においのきつい肥料を使って野菜を作ったりで、
なんだかお話がざわついて極端な感じを受けました。

登場人物も、キーワードは「騒ぐ」だったのです。

 

でも、だんだんと3話くらいからなじんできて、
次の話が楽しみになりました。

どんな流れになるのか、1週間待ちきれない。
次の話も楽しみです。
どうか、打ち切りや話数を減らす、なんてことに
なりませんように。

9周年

かなり個人的な心情を書きます。
負担になる方もいるかもしれません。



事故にあって、丸9年が経ちました。

最初の2年くらいは、この日の前には、
「もう2年だね」とか、「あっという間にこの日が来たね」と声をかけてくれる人もいましたが、9年も経つと、事故にあった私が基本形になるというか、以前の私が薄れるのか、特に誰も意識をしなくなりました。

さびしい気持ちもあり、これが自然だとホッとする部分もあります。

ただ、私にとっては、この2月の連休というのは毎年感慨深い日となっています。(今年は、連休ではないですが・・・)

事故に遭った日は、「たまたま」毎年2月の連休のイベントを見送って、敢えて別の行事に参加をしました。
この「たまたま」が事故につながってしまったかもしれない、そう考えてしまうこともありました。
いつもどおりのイベントに行っていればよかった。
そう悔やんだこともありました。

でも、それも含めて当時の自分が選んだ行動。
いまさら何を言っても時間は戻らないのです。

9周年を迎えて、気持ちが整理できた部分と、まだまだできない部分と両方あります。日によっても変わるし、整理がついたつもりの気持ちが何度も行ったりきたり、蒸し返すように心をえぐる日もあります。

周囲の人との関係は常に私の課題となりました。
体の調子が悪い人に対して、見えない壁がたくさんあること、最初は泣いてばかりでしたが、最近は少し慣れてきました。相手にも言い分がある場合もある。

気持ちの揺れは、自分の中にグッと留め、出来るだけ自問自答で、誰かを巻き込まないように徹しています。
だからこのブログに書いちゃうんだけど。

いつまでも、事故による気持ちの揺らぎを誰かに聞いてもらうと、聞いた誰かの負担を考えると、やっぱり自分が向き合うしかないな、そう思います。

孤独なのです。さびしいです。

この何ともいえない孤独な気持ちとの向き合い方が、今後の自分にとって、大きいので、卑屈にならないように、心の動きを自分のペースで見つめてみたいと思います。ああ、そうか、卑屈になってもいいんだな。あんまり自分の気持ちを縛っても、卑屈になるんだよな。

そんなことを考えた9周年。
きっと、1年や2年で、私は大きく変わらないけれど、

後ろを振り返ることは決して悪いことではなく、
自分の歩んだ道を確認する意味で、ごまかせないこと。
だから、戻れない過去をしっかり振り返り、気が済むまで落ち込んで、そんな時間をごまかさずに重ねていく。

今は、それがいいかな、と思っています。

出来るよ

出来ないことばかり、
出来なくなったことばかり、
いやと言うほど味わう毎日。

 

そう感じるのにも疲れてしまい、
なんとなく投げやり。
わかっちゃいるけど、気持ちが沸かなかったり、
集中力に欠けたり、苦しい毎日。


でも、今日、「出来るよ」って言われた。

私が3年かけてやってたこと。
たぶん、普通は1年あれば出来ること。

時間がかかって、情けなくて情けなくて、
自分ってほんとダメだ、そう思っていて、

でも、やっぱり諦めたくなくて、
だましだまし出来ることを続けてた

「出来るよ」、「よく頑張った」
ずっと、「無理だ」だの「やっても無駄」だの
言っていた相手が、初めてかけてくれた言葉。

だからといって、急に私が何でも出来るように
なるわけではない。
何も現実は変わらないけれど、

ねぎらいの言葉のような、魔法の言葉。
「出来るよ」

ただただ嬉しかった。

自分で「出来るよ」って自らを奮い立たせることが
出来たら、もっといいけど

誰かの言葉で励まされる日々が続いている
今度は自分で「出来るよ」と思えるように、
また地道にやるんだ