「私はいつでも来られるから」
6年ほど前に、私は事故に遭った。
事故で同じ車に乗っていた彼女は、事故前と同じように、
私たちがいつも通っていた場所(その場所)に行くことが出来ていた。
もちろん、彼女なりの苦しみはあったのかもしれない。
でも、何も変わらない彼女の体と生活を、私は羨ましいと感じていた。
その彼女と共に、先日、私も6年ぶりに、その場所に行くことが出来た。
6年ぶりに行けた事に、私は感動した。そして、はしゃいだ。
やっと、この場所に来ることが出来た、言葉にならないほど嬉しかった。
すると彼女は言った。
「私は、いつでも来られるから。何も私にとっては、特別なことではない」
「あなたが、それほど、はしゃぐ気持ちが、よくわからない」
そして、私がこられなかった6年の間に、彼女がその場所で、どのように楽しい時間を
過ごしてきたのか、説明をし始めた。
そのとき、私は、正直に言えば、彼女に軽く殺意を持った。
(こうして言葉にすると、私はなんて怖いのだろう)
彼女は知っている。
私が、彼女と同じ車に乗っている時に事故に遭い、
私は一人だけ大けがを負い、寝たきり生活を送り、今も後遺症に苦しんでいることを。
その後遺症のおかげで、その場所に6年間、どれだけ行きたくても行けなかったことを。
そして、やっと行けた事を。
その間、彼女は、その場所に好きなだけ行けたことを。
きっと私は、事故に遭った自分に対して、誰かから同情が欲しいわけではない。
ただただ、自分が喜びを表した時に、相手の示した「温度差」に、寂しさを覚えたのだ。
結局、こんなものだと思う。
誰かの感情なんて、自分の思い通りに動いてはくれない。わかってはいるつもり。
けれども、正直に、寂しかった。
心狭いけど、正直に、私は小さい