湿気の無い晴天が好き

日々のつぶやきを、のんびり、まったりと書きます。

木村沙織 選手

2016.12.7 追記

 

木村沙織選手は、日本代表は引退表明したが、

Vリーグで現役生活を続けてくれた。

いてくれること、それが一番嬉しい。

覚悟をしないと試合が見れなかったとはいえ、

勝手に引退を覚悟していたあたり、ファンに方に申し訳なく思います。

ごめんなさい。

 

=====

 

 

 

あと1時間半ほどで、バレーボール木村沙織選手の試合がはじまる。

 

ファンとしては、そうなってほしくはないけれども、

この試合が木村選手の代表引退になる可能性がある。

代表引退だけではなくて、現役引退になるかもしれない。

 

いつかくるとは思っていたけれど、今、なんともいえない寂しさがある。

 

木村選手を春高バレーで見て、17歳で代表入りをしてからずっとファンだった。

愛くるしい笑顔、スイッチが入ると鋭く引き締まる眼光、美しすぎるスタイル、

という外見のみならず、

 

第一線でずっと活躍しながらも、一点一点を飛び上がって喜ぶ姿、

サーブレシーブのたびに構えを確認する姿、「基本が大切」、

「出来ないことを出来ないままにしておくのは格好悪い」といって

出来るようになっていること、数え切れないけれど

プレースタイルというか、競技との向き合い方に、格好良さを感じていた。

 

競技を少しだけ離れると、インタビューの受け答えに特徴があって、

ほんわかさせてもらったり、思わず笑ってしまったり、

バレーボールに真摯に向き合う姿と、インタビューの印象のアンバランスさが

私にとっては魅力だった。

 

ここ数年は、見ていてモチベーションが落ちているなと感じたり、もやもやすることもあった。でも、試合があると見たい気持ちはまったく薄れなかった。

 

ずっと第一線で活躍する中で、木村選手の努力がしっかり見える気がしていた。

すごい孤独だったり、一人で思い悩むこともたくさんあったと思うけれど、

木村選手は、いつもかわいらしい笑顔を見せてくれた。

 

ああ、積み重ねは、人をこんなに美しく、魅力的にするものかと感動していた。

バレーボールの面白さもたくさん教えてもらった。

 

私にとって長い時間、

「バレーボールのテレビ中継を見るイコール木村沙織選手を見る」だった。

 

感謝しかない。

見ているほうは、感動や感謝をたくさん受け取らせてもらってばかりで、

ただ、応援するしか出来ないけれど。

 

私に唯一出来る応援。

もう少しで始まる試合を、全力で応援するんだ。

ひとつひとつのプレーを大切に見たいと思う。

 

木村選手、気持ちよくスパイク打てるといいな。

勝敗を超えて、少しでも自分のプレーが出来るように心から願っています。

 

 

不条理

怒っても仕方ない。そう頭でわかっていても、感情がついていかないことがある。

3月に許可を取り、進めていた案件が、今日になって消滅した。


こんなことは、日常茶飯事だけど、今回は関係者の「ホルモンバランス」
にとことん振り回された感がある。

3月から昨日までの4ヶ月、寝る間を惜しんで準備を進めた。
予定の納期に間に合うように、ここしばらくは寝ずに進めた。

どれだけ痛かろうが、体調が悪かろうが、言い訳はできない。

めちゃめちゃ無理をしてでも、あとでどれだけダメージが残ろうと

これだけは、何とかしたかった。

諦めてばかりの毎日は、いやだな。ひとつ位はどうにかしたい。

 

それぐらい成し遂げたかった。

せめて、出来上がったものを見て「駄目」だと言われたかった。

出来上がったものを一瞬も見ないで、無残に散った積み重ね。


あれ?

こうして書いてると、よくあることだな。

 

どうしてこんなに悔しいんだろう。

どうしてこんなに悲しいんだろう。

 

永さんの言葉

「生きているということは、誰かに借りをつくること。

生きてゆくということは、その借りを返してゆくこと」

永六輔さんが遺してくださった言葉。

読売新聞で読んで、大切にしようと思った。

心より、ご冥福をお祈りします。

 

 

私は、今年で交通事故で頚椎を骨折してから10年目。

数え切れないほど人の手を借りて、生きてきました。

恩返ししたい気持ちは、抱えきれないほど持っているけれど、

返せない。どうしたらよいのだろう。一方的にお世話になりっぱなしも悲しい。
借りばっかり作ってるなぁ、たとえが悪いけど、借金がどんどん膨らんでしまう

ような感覚とでもいいましょうか。

何をするにももどかしく、途方にくれる日々が続いていました。

 

永さんのお言葉を借りて考えてみると、

生きていくことが借りを返すことだとしたら、私の生き方はせめて、

少しでも、他の誰かに重くのしかかったり、苦しめたりする、

そうではないように、そして少しでも何かを選択出来るような、そんな

生き方を諦めないでいたい。

 

気づかないところで意地悪してないか振り返るとか、
言葉選びとか、そういうの大切にしていく。

 

 

永さんの言葉、大切にします。

悲しみのち、ありがとう

混み合うバス停からの乗車で、体調がいまいち、ふらつきもある。
乗車前は不安しかなかった。
バスの中でしっかり立っていられるか、心配しながら
乗車したバス。
案の定混んでいた。優先席には大学生がぎっしり。
仕方がない。つり革は持てないから、棒を見つけて握る。

すると私の肩を叩いて、「どうぞ、座ってください」
大学生らしき女性。素敵な笑顔で声をかけてくれた。
本当にありがたかった。

「ありがとうございます!」
お礼を伝えて、申し訳ないなと思いつつ、
ありがたく座らせてもらった。

このバスは、大学生がたくさん乗っている。恐らく、大学近くの
バス停でも相当並んでから乗車出来るのだろう。
譲ってくれた学生さんは、やっとの思いで座れた席を、譲ってくれたんだ。


譲ってもらった席に座ってから、私は、お礼の伝え方を考えていた。
あんまりしつこくしてもダメだし、他の学生の目もあるから、
あまりたくさん話しかけても相手の負担になるし。

結局、終点に着く直前に、ありがとうをもう一度伝えた。
ちょっと自分の気持ちは表現出来なくらい嬉しかったけど、
言葉にするのは難しかった。ちょっと残念感が残った。

実は、行きのバスに乗る前、私はバス停に向かう途中で
かなりふらついて、転倒してしまった。まっすぐ歩くのが難しく、
ふらつきながら歩いて転倒したとき、小さなお子さんを連れた
母親が「良い子にしてないと、ああなっちゃうよ」
と私を指差し子どもに言い聞かせていた。

ぐずる子どもに何かを言い聞かせるために、転んだ私を指差したのだろうけど、
私はとても悲しかった。同じこと、何度か経験していることだけど、毎回悲しい。
直接相手に文句を言おうにも、立ち上がるので精一杯。その間に相手は
いなくなってしまった。

そんな経験をしたあとだったので、とっても爽やかな笑顔とともに
席を譲ってもらい、余計に心に染みたのだと思う。
ありがとう。

体調が悪くても、どうしても出掛けなければいけない日もある。
誰かに迷惑をかけないように、気をつけてもうまく動けない日もある。
「転ぶなら外出するなよ」とお叱りを受けることも多いが、
日常生活を送るうえで、外出しないと出来ないことも多い。

 

大げさに聞こえるかもしれないけれど、外出時は必死です。
どこまで体力がもつか不安もあるし、交通機関の混み具合なども
出たとこ勝負。
だからこそ、ありがたかった。


私も、体調が良いときは、席を譲れるように、どこかで恩返し出来るように
したいと思う。

捨てる神あれば、拾う神あり、っていうか、
悲しみののち、感謝で終われてほんとありがたい。
そして、何とか無事に外出を終えれてほっとした。

小塚選手

スポーツ選手の引退話が寂しいです。
仕方ない、わかっていても、もっと見たい
そんな勝手な私です。


スケートの小塚選手。
この記事での発言が、小塚選手を凝縮しているように
思います。

基礎が本当に美しい。
ただスケート好きで、技術的なことなど何も知らずにテレビで見るだけの私ですが、足元がしっかりしている選手という印象でした。


いったんスケートから離れるようですが、離れた生活での様々な経験を経て、再びスケート界を盛り上げてくださる予感。

大学院も5年間かけて卒業。じっくりゆっくり歩む。
そんなスタイル、素敵ですね。

時間の積み重ねにより培われたしっかりとした足元で、今後、小塚さんがどのような活躍をするのか、ひそかな楽しみです。

 

=====

「ほかの人よりは時間がかかっても、歩みは遅いと思うんですけど、いや、ときには停滞しているように見えることもあると思うけれど、その中で一歩ずつ、吸収しながら前へ進んできたと思っています」

(引用元:

www.msn.com

 

最高のレース

マラソンの野口みずきさん。

以前、野口さんが金メダルを取ったレース、テレビで見ていました。全身がバネみたいだった。
42.195kmを走り終えた後も、
もう一度すぐに走れそうなぐらいパワーが溢れていた。

時を重ね、野口さんは、昨日名古屋でマラソンを完走しました。

オリンピックで金メダルを取って、
度重なる怪我に苦しんで、
2年半前のマラソンを途中棄権して、
そして、昨日の完走。

私はスタートから、野口さんが無事に完走出来ることを
願って、ずっと見ていました。

途中で、涙ながらに走る野口さんを見て、
どんな涙なのか、辛いのか、悲しいのかと心配でした。

「記録はワーストだけど最高のレースでした」
「悔いはない」
そういって微笑む野口さんが最高に美しかった。
23位と負けた悔しさもありながらも、
スタート前とは違う、すっきりとした表情でした。


思うように体が動かなかったり、苦しい時期も
長かったと想像する。
マラソンをしていない私には、きっとわからない
想像を絶する苦労もあったと思う。

 
野口さんを見ていて思った。
苦しい時期が長く続いたとしても、
きっと、いいこともあるんだな、って。

 


昨日、野口さんが走る周りには、応援の声が溢れていた。
沿道からの声援、同じコースを走るカラフルな市民ランナーたちが、
手を大きく振り、体を大きく使って、野口さんに声援を送る姿が途切れない。
人々の声に、私は自然に涙が出ました。

すごい、すごいなぁ、って。
野口さんにだから向けられる声援。
周囲に自然にそうさせる野口さんだから、
あんなに美しい笑顔が出るんだな。


42.195kmを走る間、いろんな種類の
涙があふれたと思う。
けれども、30kmを過ぎたあたりからは
本人が花道と語るように、笑顔と万感の思いの
涙があふれたようです。

 

アスリートはものすごくたくさんいるけれど、
「悔いはない」そう言える人は、きっと一握り。
一緒に頑張ってきたスタッフも、幸せだな。

 


私は、野口みずきさんの今日のレースと
あの笑顔を、ずっと大切にします。

感動した・・・とか、簡単にいえないくらい
とっても心に響きました。ちょっと言葉に詰まるけど、
今の気持ちを書きとめておきます。

我慢させていたことに気づく

長い付き合いの友人と久しぶりに会うことが出来た。

昔の仕事仲間。
仕事を通じて知り合った人で、仕事を離れても付き合う人は
少ない私。友人の人間性に惹かれて今も付きあいが続いている。

よくあることだけど、
時間を重ねるとともに、共通の話題が減っていく。
互いの生活に変化が出て、今までどおりにはいかないこともある。

共通の話題がないことも、友達づきあいによい面もある、
知らないことも知れるし、ものの見方にも刺激を受ける。
そう思っていた私。

久しぶりに、彼女はとても楽しそうにしていた。
「やっと久しぶりに共通の話題が見つかって良かった」
「ほっとした」
「以前は、仕事の話題が出来たけど、今は仕事の話ができなくなったもんね」

彼女の言葉で、共通の話題とか共感が、友達づきあいには大切だと改めて気づく。

 

ここ数年は、彼女は、私と会うときに共通の話題を探していたのかもしれない。
我慢させてしまっていたのかもしれない。

互いに話し、互いに聞き、自分ばかりが話しすぎないように気をつけてはいたけれど、話題は、そのときに思うままに任せていたところがある。

 

・・・反省した。気をつけよう。

 

実は、彼女に会った直後は、彼女のこれらの言葉に落ち込んだ。


でも振り返ると、ここ数年の私は、家族のトラブルとかいろいろと決して明るいものではなく、聞いてもらうのはとても負担をかけていたのだろう。

 

会いたくて会う大切な友人にだから打ち明けられることはあるけれど、
これからは、共通の話題も見つけて、相手に聞く負担ばかり押し付けてはだめだな。
少しはほっとできるひとときを意識しないと。


一人よがりにならないように、振り返る時間を大切に。